【小説】彼岸過迄(夏目漱石)

己は雨の降る日に紹介状を持って会いにくる男が厭になった。

自分のようなまた他人のような、長いようなまた短いような、出るようなまた這い出るようなものをもっていらっしゃるから、今度事件が起こったら、第一にそれを忘れないようにしなさい。

修善寺の大患」で生死を彷徨い、二歳になる娘との死別の経験をした直後に書かれた本作。後期三部作と言われる「彼岸過迄」「行人」「こころ」は、これまでの作風と変わり、人間の内面(エゴイズム・孤独)を深く掘り下げた作品とされています。また、個々の短編を重ねた末に、その個々の短編が相合して一長編を構成するという独特な書き方となっています。

いくつかの短篇を連ねることで一篇の長篇を構成するという漱石年来の方法を具体化した作品。中心をなすのは須永と千代子の物語だが、ライヴァルの高木に対する須永の嫉妬の情念を漱石は比類ない深さにまで掘り下げることに成功している。(「BOOK」データベースより)

 

  • 感想

恋愛における嫉妬の感情を非常に深く掘り下げた作品です。

地方から上京した主人公敬太郎の学友である須永と周辺の人物を中心に話が進みます。内気な性格の須永は幼馴染みの千代子に恋心を抱いていますが、外交的な性格の高木が突如、恋敵として登場することで物語は大きく動きます。

しかし、須永は千代子に対してアタックすることなく、むしろ距離を取るようになります。「もしその恋と同じ度合いの激烈な競争をしなければ思う人が手に入らないなら、僕はどんな苦痛と犠牲を忍んでも、超然と手を懐にして恋人を見棄ててしまうつもりである。」という言葉を残すものの、高木に対する嫉妬心が激しく燃え上がり、生々しく描写されています。

一方、千代子もその気持ちに気づき、「貴方は妾を愛していない。何も貰って下さいとはいやしません、ただ何故愛してもいず、細君にもしようと思っていない妾に対して……何故嫉妬なさるんです。」と須永に対する愛情と不満をぶつけます。結局、二人に恋はどっちつかずの状態のまま物語は終わりますが、悩みが堂々巡りに陥る須永は、目的のない一人旅に出ることで、考えずに物を観ることを覚えて精神的負担を軽くさせることに成功します。

  • 本書を読んで得たもの

頭の中で堂々巡りに悩み過ぎず、自分の気持ちの正直に体を行動に移すこと。