【小説】門(夏目漱石)

彼は門を通る人ではなかった。

また門を通らないで済む人でもなかった。

要するに、彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。

恋愛による苦悩をテーマにした、夏目漱石前期三部作「三四郎」、「それから」、「門」の1つです。「三四郎」にて初々しい学生恋愛をした三四郎が成長した姿が、「それから」にて親友の妻との駆け落ちをする代助であり、代助が成長した姿が、「門」にて親友の妻と駆け落ちをした後の宗助夫婦を書いているとされています。女中の名前は「お清」であり、坊ちゃんで登場した下女「お清」と同名であるなど、様々な繋がりが読み取れます。

明治期の文学者、夏目漱石の長編小説。初出は「東京朝日新聞」「大阪朝日新聞」[1910(明治43)年]。「三四郎」「それから」の前作とあわせて前期三部作とされる。野中宗助は親友安井の妻だったお米を奪った。二人の結婚生活は崖下の家でひっそりと続いている。安井が訪ねてくることを知った宗助は苦しみ、修業のために参禅に出かけるが門は開けてもらえず救済は得られない。「門」を書き終えた後の夏、漱石は悪化した胃病の療養のために出かけた修善寺温泉で大吐血をし、死を体験した。修善寺の大患と呼ばれる。(Amazonより)

 

  • 感想

物語を通して、全てを「運命」のせいにして投げ出している主人公「宗助」が読み取れます。父親の財産相続を叔父に任せきりにして損をする話、父親の形見の屏風を質屋の言いなりに安く売ってしまい損をしてしまう話など。

特に、物語の終盤で、妻の元夫が現れて悩み苦しんだ際にも、座禅をすることで救われるのではと僧侶に助けを求めます。しかし、自ら愚直に悩み続けるということを放棄したことで、解決には至りませんでした。その際の『自分は門を開けてもらいに来た。けれども門番は扉の向側にいて、敲いても遂に顔さえ出してくれなかった。ただ、「敲いても無駄だ。独りで開けて入れ」という声が聞こえただけだった。』という一文は、全てを運命や他人に任せてしまう宗助をよく表しているでしょう。

結局、自ら一歩を踏み出さなければ、何も変わらないというテーマが本書にあるのではないでしょうか。それは、本書の最後の一文『「春がきたが直に冬になるよ」と下を向いたまま爪を切る代助』は、そのまま本書の最初の一文『宗助は縁側で座布団を持ち出して気楽に胡座をかいて』に繋がっても不自然ではなく、何も変わらなかった代助を暗示しているところからも読み取れます。自分がやりたいことは何なのかを考え抜き、それを実行するための行動をしなくてはいけないと再確認させられる一冊でした。

また、「三四郎」、「それから」に続く前期三部作である本書「門」は、「三四郎」、「それから」とストーリーが繋がっているため、「三四郎」、「それから」を読んでから読み始めることをおすすめします。なお、「坊っちゃん」で登場した下女「お清」と思われる女中「お清」も登場します。

  • 本書を読んで得たもの

門(運命)を敲くだけで人に開けてもらうのではなく、自らの手で門(運命)を開ける